都築学園グループ

MENU

MENU CLOSE

都築学園グループスペシャルインタビュー
"Tsuzuki TALK PRESS"

辻仁成さんの、学問のススメ 「少年よ、野心を抱け。」

息子中心のパリでの生活。手づくりの朝ごはんとキッチンに立つ背中で伝えていること

息⼦はパリ生まれ・パリ育ちの生粋のパリジャンですが、家の中では日本語、朝⾷は基本和⾷です。毎朝、私が朝ごはん を作ります。「朝弁」といって曲げわっぱのお弁当箱に朝ごはんをつめて何年も出してきました。蓋を開けたときの⽴ち上る ⾹りや彩りの美しさなど、そんなところからも日本⼈としてのアイデンティティを感じて欲しくて。 
親がきちんと⾷事を作る姿を⾒せることは、とても⼤切なことだと思っています。息⼦もキッチンに⽴つ父親の姿を朝晩⾒る ことで、彼は父親が⾃分のために⼿間ひまかけてくれることを悟るのです。片親だからって寂しくさせたくない。仕事も家事も ⼈一倍頑張る父を⾒せればいいのです。その姿に彼は多少の安心を覚えるはずです。こしらえた父のごはんは「君のそばに いるよ」という無⾔のメッセージとなります。それに何より、おいしいものを⾷べれば⾃然と会話が弾むし、おいしいと⾔われれ ば私もうれしいし、お互いに幸せになれますよね。

 

時間を惜しまず本気で向き合う親子の会話こそが、子どもの生きるのりしろになる

道徳を重んじ、悪いところや甘えた考えをあえて指摘することで⼦どもの心を強くする、それが息⼦との向き合い方です。 息⼦に対して、私は厳しい存在でありたいと思っています。もちろん、⼿を出すような古いやり方はしません。何がいけないの かを徹底して、彼⾃⾝が本当に納得するまで、しつこく話し合いをします。叱るときだけでなく、普段からもいろいろな話をし ます。⼈間関係、学校のことや社会のシステムのことことまで、毎晩、時間を惜しまず、会話をします。 
会話のない親⼦関係が一番よくないです。夕⾷後、私は息⼦の話に耳を傾けます。聞く耳が⼤事です。そして、必ず意 ⾒をします。そうすることで彼はきちんと考えることができるのです。時には会話が議論に発展することもあります。⾃分の持て る経験を総動員して、真剣に息⼦と向き合います。ただ論破するのではなく、彼の心を補いながら、可能性を探してやるの です。そして、生きるのりしろを与えてあげるのです。親⼦の会話こそ、⼦どもの成長をサポートする一番の栄養剤です。⼦ど もを過保護に育てることは、結局は本⼈のためにならないのではないかと思います。時間をかけて本気で向き合うことが、 ⼦どもの成長につながると思っています。 
今、息⼦はちょうど反抗期ですが、2⼈の関係は良好です。毎日の⾷事、時間をかけた議論を通して、時にはスポーツや 世界中への旅を通して、よい父⼦の関係ができているように思うのです。

 

教えてもらう「教育」ではなく、自分で問い自分で学ぶ「学問」でなければ、人は成長できない

私が息⼦とする議論は、フランス語ではdébat(デバ)、仏教では「問答」と ⾔いますが、私はこの問答こそが学問であると思っています。 
以前、私は京都造形⼤学で約10年間、文芸表現科の教授として講義を 行っていましたが、これとは別に⼈間としての心を養う「⼈間塾」という私塾も 主催していました。「⼈間塾」では、全国から集ったさまざまな年代の老若男女 が、広い茶室のような部屋で膝を突き合わせ、ひとつのテーマのもと質問したり 討論したりする問答スタイルで、何時間も議論を交わしました。 
問答は、⾃分で問い⾃分で学ぶ「学問」です。⼈は学びにより成長しますが、 ⾃分から物事を知ろうとする気持ちや、⾃ら興味を持って学ぼうとしない限り、 成長することはできません。「教育」という⾔葉がありますが、教育とは教えて 育てると書き、⾃ら問い学ぶという学問とは目線がまったく違います。教えてもら うというスタンスでは、学びの面白さを感じることもなく、心も成長しないのではな いでしょうか。だから私は、教育ではなく学問を追求したいと考えています。

 

偏差値主義の日本、個人・個性を尊重するフランス

私⾃⾝は、先生の知識を一方的に教えられる日本の学校教育で育ちましたが、その反動でもっと面白いことがあるはず だと思い、外の世界を⾒ることにつながりました。そういった点では、古き日本の教育は、私にとってのいい反面教師ですね。 今は息⼦の学校でPTAのようなものをやっていることから、フランスの先生方と話す機会も多いのですが、フランスの学校 教育は生徒のいいところを伸ばす、個性を引き出すことを基本としています。優秀な⼦は飛び級をして、⾃分が学びたい 環境にどんどん進むし、授業についてこれない⼦は、落第してもう一度やり直します。日本では落第は恥ずかしいことですが、 フランスではもう一度学べる機会と捉えられ、いいシステムだと考えられています。 
学歴重視で点数主義の日本では、偏差値がとても重視されますが、フランスでは偏差値という⾔葉は滅多に聞きません。 日本のように他の⼦どもや平均点と比較するのではなく、フランスではひとりひとりの個性が重視されるのです。また、フランス の学校は1年の半分ぐらいが休みなので、授業時間は日本よりずっと少なく、⾃分で勉強しないと授業についていけなくなり ます。最近では稀になりましたが飛び級もありますし、落第に関しては、普通に毎年落第者が出ています。日本のように18 歳になったから⼤学に行く、というような年齢上での決め事もありません。学びたい⼈は年齢に関係なく何年でも学び、⾃ら 積極的に学ぶことがフランスの学校教育の基本です。

 

 横並びで安定するか、突出した杭となるか

個性を重視するフランスの教育は素晴らしい!と諸⼿を挙げて賞賛するわけではありません。中庸を尊ぶ日本では、誰も が中産階級でみな同じという良さがあります。フランスには日本では考えられない⼤きな格差があります。しかし残念ながら、 みんなが中の中という意識の中からは、突出したクリエイターは輩出されません。中の中という横並び意識が、日本という社 会を改革できないネックにもなっています。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズのような世界を揺るがすクリエイターは、⼤⼈が 作った教育の範疇や概念を飛び越えた⼈たち。皆同じがいいという意識でいる限りは、新しいモノは生まれてこないのです。 
「出る杭は打たれる」ということわざの通り、日本では抜きん出た才能は妬まれます。しかし、出ない杭は一生埋もれたまま。 日本で出る杭を目指すと、ちょっと変わってると⾔われるかもしれません。しかし、⼈と違うことはオリジナリティがあるということ であり、新しいモノを生み出すチャンスを掴んでいるということです。 
打たれることを恐れず、ずば抜けた杭となることを目指してください。

 

 地盤沈下する日本の大学 ランキングや偏差値にこだわるのではなく、もっとビジョンを!

⼤学の世界ランキングで、日本の⼤学が競争力を失い、順位を下げていると聞きました。理由はいろいろあるのでしょうが、 私は、偏差値主義が⼤きな要因だと思います。日本政府はランキングを上げることを目標に掲げているようですが、順位は 目標ではなく結果です。 
⼤学のビジョンやポリシー、学生たちが何を学び何を生み出しているのか、どんな未来予想図を描いているのか、それらが 明確でなければ、世界の中で日本の⼤学が抜きん出るのは難しいと思います。先程、中の中意識からは突出した才能は 生まれないと⾔いましたが、これは⼤学にもあてはまることです。偏差値重視の中の中意識のままでは、日本の⼤学の地盤 沈下は止まらないのではないでしょうか。日本の⼤学は、順位を上げるために偏差値を上げる、という考えを捨てるべきです。

 

大学とは学生のやる気を開発する場 個性を見てやる気を焚き付けてくれる先生との出会いの場

⼤学は何をするところかというと、学生が⾃らの⼈生を⾃力で獲得する場所、やる気を開発する場所です。京都造形⼤ 学で講義をやっていた頃から、学生たちに「⾃分の中にある才能を発⾒し引っ張り出すことができたとき、君⾃⾝の⼈生が 変わるよ」と語り、学生が⾃分の才能を発⾒する緒となる“やる気の開発”を重視してきました。まず彼らに興味を持たせ、 なぜだろうと感じさせることで、彼らは⾃分で問い学び、その中で⾃分の才能に気づいていきます。才能は⾃分⾃⾝でしか 育てることはできませんが、そこに辿り着くためのヒントを提示することは第三者にもできます。それがやる気の開発であり、 ⼤学の役割ではないでしょうか。やる気を焚き付けてくれるような先生との出会いは、それからの⼈生を⼤きく変えてくれます。 これから⼤学を目指す⼈は、偏差値や点数ではなく、⾃分の個性をちゃんと⾒て、やる気を焚き付けてくれる、そんな 先生がたくさんいる⼤学を目指して欲しいと思います。

 

少年よ野心を抱いて荒野を目指せ

私は「野心」という⾔葉が好きです。⼈を蹴落として⾃分が這い上がるという イメージで使われたりもしますが、野に出る心と書くことから、この⾔葉が生まれ た頃は良い意味で使われていのじゃないかと想像しています。ですので、私は チャレンジするチカラという意味で使っています。クラーク博士が学生たちに「少 年よ⼤志を抱け」と語ったように、私は「野心を抱いて荒野を目指せ」という⾔ 葉を贈ります。中の中で安穏とするのではなく、出る杭となり野心を抱き、新し い世界、まだ⾒ぬ荒野を目指して欲しいですね。 
私の座右の銘は「世界はまだボクを発⾒していない」です。今も、この⾔葉を 心に持って生きています。何者でもない⾃分がはじまりです。これを初心と⾔い ます。⼈間は年を重ねるとだんだん偉くなっていきますし、どこか横柄になるもの です。しかし、常に新⼈に戻ることでその⼈は成長を持続させることができるので しょう。才能というのは、つまり、⾃分に対して常に新鮮であることじゃないでしょ うか? ⾃分におごらず、⾃分にドキドキし続けて生きることが、その⼈の一生を 豊かにするのだと私は信じています。

 

辻仁成 (つじ・ひとなり)さん
東京都生まれ。1985(昭和60)年にロックバンド「ECHOES」のボーカリストとしてデビュー。1989(平成元)年『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞。1997(平成9)年『海峡の光』で芥川賞、1999(平成11)年『白仏』のフランス語翻訳版で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本⼈として初めて受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国など各国で翻訳されている。著書に『日付変更線』『そこに僕はいた』 『右岸』『永遠者』など多数。詩⼈・ミュージシャン・映画監督・演出家としても活躍。現在は活動拠点をフランスに置き、創作に取り組んでいる。



PAGE TOP